-[寄稿文]-



 映画『虹の女神』公開時に、上野樹里さんのオフィシャルサイトで映画の感想文を募集していました。
 これは、そのときに、ある樹里さんファンが応募した感想文です。管理人の解説内容とシンクロしている箇所が多々あり、かつ視点が異なる素敵な感想文です。仮説を愛(め)でることでより深くこの映画への愛をはぐくむことができると信じ、寄稿をお願いしました。何がしか触発されましたら、ぜひ『虹の女神』掲示板も探索してください。
 【感想文】は2回分あります。本人(著作権者)の許諾を得て転載しています。無断転載や改変は禁止します。




人間は、こうして生きていくもの


「The end of the world」の打ち上げで、智也の背中を押す、あおい。
その直前の表情から、このときにはすでに、智也を好きになっていることが分かります。
(自分で気付いているかどうかは別にして)
最初はストーカーの智也を迷惑に思っていたのに、いつから好きになったのかな。
まてよ、食堂での「この映画に出てもらうから」という言葉は、嫌いな相手には言いませんよね。
ということは、その前か。
喫茶店で「ちょっと血迷った。ごめん」と言うあおいは、このとき初めて智也に心を開いたように思います。
そして「これで、いい映画撮ってよ」と一万円札の指輪をはめられ、水平の虹を見上げた。その時かな。
いや、それも変ですね。
この時点では、嫌いではなくなった、という程度でしょう。
「貸し借りなし」になった、と言ってもいいかも。
「The end of the world」撮影中に「ここは、ブチューっと」という場面では、
まだ好きにはなっていないように思えます。
今日子がキスシーンがダメで、あおいが主演することになり、いきなりキスシーンでした。
このキスシーンのキスで、あおいが智也を男として見るようになった、というのは考えられますね。
本編では出てきませんが、この後にミユキの出るシーンはすべて撮り直しているのだから、
その撮影を通じて、智也を好きになっていった、ということでしょうか。

あおいが愛宕神社のお祭りに誘われて、いったん断ったのに「じゃあ、こうしない?」と言ったことで
「脈あり」と智也が気づいてもいいのにね。でも男って、鈍感なんだよな。
でもこのとき、智也はあおいを誘っているのに、自分の気持ちにまだ気付いていないのか。

映研の部室で「あんたには、何て口説かれても落ちない。ストーカーのイメージが強すぎる」と、あおい。
そんなこと言ったら、智也は「あおいは、俺のこと何とも思ってないんだな」て刷り込まれちゃうでしょ。
それが、後になって(歩道橋の場面で)自分に跳ね返って来ちゃう。
でも、こういうこと言っちゃう人って、いるんだろうなあ。特に若いときは。
(私はどうだろう……どちらかというと、「何も言えないタイプ」かな)
いやまてよ、このときはまだ、あおいは自分の気持ちに気付いていないのかも。
代筆までしてあげる(あげようとする)ぐらいだし。

就職活動の話で「銀行とか証券会社を受けた」と言うあおいに、智也が「映画やりなよ」。
この言葉で映像制作会社に入ることにしたのでしょうね。
「夢ねえ、他人の事だから、夢なんて言えるんだよ」、確かにその通り。
だけど、他人だからこそ、本当にやるべきことが分かる、ということも言えますよね。

「10年後、何やっているんだろうね」という言葉、心にしみます。
私は学生時代に、こんな風に考えたことはあまりなかったけれど、
一応、好きな事を仕事にしているので、私は私なりに夢を叶えたと言えるかな。
苦労もあるけど、好きな事で苦労するのは幸せですよね。楽しくさえある。そう思わないと。

「The end of the world」を観て涙するあおい、なぜ涙を流したのでしょう?
この時点では、「今まで好きな映画をやってきたけど、就職したらできなくなって、
好きでもない仕事をして生きていくんだろうな」と思っていたから、でしょうか。
それとも、智也と会えなくなると思ったから、でしょうか。
いや、この撮影で智也を好きになったのだとしたら、そのリプレイを見たからかも。
最初に撮影したキスシーンは映画の最後に近いから、智也を好きになる過程を逆回しで観る感覚だったかも。
ただし、クランクアップはラストのキスシーンだったから、
「智也を男として見るきっかけのキス」と「撮影最後のキス」が
「The end of the world」の中では、あまり間をあけずに出てくることになります。
これを観て、自分の気持ちを見せ付けられたような感じがして、
あるいは自分の気持ちに気付かされて、それで涙を流したのでしょうか。
うん、このとき初めて、あおいは智也が好きと自覚した、という気がしてきました。

酔った上司樋口の説教は、あおいに見所があると思ったからでは?
でも、誰にでも同じ事を言っているようでもある。
だけど「俺の説教を聞いたのは、お前が初めてだ」という言葉から思うのは、
「人に何と言われるかより、自分がそれをどう受け止めるかが大事」ということ。
自分の人生を決めるのは自分。樹里ちゃんも、そうして来ましたよね。

歩道橋のシーンでは、智也が何気なく言った言葉であおいが傷つきました。
そして、殴る、蹴る。さらには「ごめん」と謝る智也に「なんで謝るんだよ」と怒鳴るあおい。
男って、バカだよなあ。でも、あおいも、もう少し違う態度で気持ちを伝えることもできるのでは?
でも、若いときは、そんなこと思いもしないか。どうしたらいいか、分からないんだよな。
それに、歳を取って、気持ちの伝え方は色々あると分かっても、それが出来るとは限らないし。
それができるのが千鶴ですね。でも、それにも加減というものがある。
千鶴は結局、「策士、策におぼれる」という結果でした。
もっとも、千鶴は「思いを伝える」というよりは、最初から騙そうとしていた感じですが。
あおいとは、あまりにも対照的ですが、ふたりとも不器用という点では同じなのか。

屋上のシーンでは、あおいが精一杯の言葉を発していますね。人生を賭けている、と言ってもいい。
なのに「日本なんだ、そばじゃないんだ」と言われても、智也はあおいの気持ちに気づかなかったのか?
それとも気づいたけど、どうしていいか分からなかったのか。多分、後者なのでしょう。
「がんばれよ」と口で言いながら、「それでいいのか」と心の中では思っていたのかも。

自分が智也だったら、どうだろう?
何て言えばいいんでしょうね。「ずっと、そばにいてくれ」? 
そんなこと、言えませんよ。あおいの夢を邪魔するなんて、できない。
もしも、そんなこと言ったら、絶対に後悔する。あおいに負い目を感じちゃう。
「俺は待っているから、勉強して来い」って言うべきなのかな。
あおいは、何て言って欲しいんだろう? そもそも、何て言って欲しいか、分かっているのかな?
「ずっと、そばにいてくれ」で本当にいいのかな?

相手の気持ちも自分の気持ちも見えない本人達、見えているのは盲目の妹、というのは、
皮肉ととらえるべきか、それとも本質をついている、ととらえるべきか。両方かな。

あおいの家で、フジのカートリッジにコダックのフィルムを入れてフジカZC1000で使う、
という話で盛り上がっている場面、共感します。
私は映研ではなかったけど、高校・大学でのクラブや趣味の話題で、若い人と盛り上がることがあります。

「The end of the world」の最後、「終わったのは、私だけだった」。
結局、最初にミユキが木漏れ日を見上げた後は夢だったってこと?
「夢落ちかよ」という突っ込みも聞こえてきそうですが、学生らしい映画で、いいと思います。
あおいの死と「一緒に生きたい」と言って死んでしまったミユキがシンクロするのが悲しいです。

最後に、あおいが代筆した手紙の裏に書いてあった言葉で智也に気持ちが伝わったのは、不幸中の幸いでしょうか。
でも、智也は一生、このことをひきずりそうですね。
それでも、人間はそうやって生きていくものなのでしょう。
それに、時が経てば、心の傷は治らなくても、その痛みに耐えられるようになるでしょう。

樹里ちゃんの演技、とても自然、というか、あおいになりきっていて、引き込まれました。
観終ってから思い出すと、いつもながら、素晴らしいと思います。
特に、学生のあおいと、社会人のあおいで、顔が違いますね。
「学生の顔」と「働いている人の顔」になっていたように思います。
さらに「The end of the world」の中では、演技している顔をしている。本当に素晴らしい。
もちろん、シーンごとの気持ちの表現も素晴らしい。
(「素晴らしい」としか表現できず、自分の語彙の貧弱さが情けなくなります)
エンドクレジットは、涙を拭いていて、あまりよく観られませんでした。
この作品も、DVDで何回も味わいたいです。その前に、映画館でもまた。

「大切なものは、すぐそばにあって、失って初めて気が付く」というのは、
「人」もそうですが、「健康」もそうです。
体に気をつけてくださいね。

まとまりのない長文、お許しください。



気持ちに気付いて壊れてしまった、ふたりの関係


1回目に観たときから、あおいと智也がいつ、相手を好きになったかが、気になっていました。

最初は「ストーカーとその相手」でしたが、
喫茶店であおいが「ちょっと血迷った。ごめん」と言い、
その後智也が「これでいい映画撮ってよ」と一万円札の指輪をあおいの指にはめて、
一緒に水平の虹を見たときに、友達になったのだと思います。
でも、このときはお互いにまだ、異性として意識してはいませんね。

「The end of the world」で、あおいが今日子に代わって撮ったキスシーン以降、
あおいは智也を異性として意識するようになったと思います。
クランク・アップでハグするシーンのあおいにも、それが見られます。
でもまだ、異性として好き、というわけではないでしょう。
「友達以上、好き以下」といったところでしょうか。

一方智也は、学生の間は、あおいを異性として意識していない様です。

就職後、あおいが退社を決めてから智也と飲んだときも、
二人の気持ちは変わっていないように見えます。とてもいい友人。

デートカフェの取材で、あおいが舞台に上がったとき、
智也が手を上げようか躊躇していますね。
智也はこのとき初めて、あおいを異性として意識したのではないでしょうか。
「好きだ」と気が付いたのかもしれません。

それで、その帰りに、あおいに冗談のプロポーズをしたのでしょう。
最初は真剣だったのを、照れ隠しで冗談にしたのか、
それとも、さりげなく告白する(あるいは、あおいの反応を確かめる)ために
最初から冗談にするつもりだったのか、それは分かりません。
でも、不器用な智也のことだから、前者かな。

あおいは、この冗談のプロポーズで、智也を好きだと気付いたように思います。
ところが、智也に「女を感じない」とか「結婚するか」とか「冗談だ」と気持ちを振り回されて、
それで感情を爆発させたのでしょう。
あおいの「取り消せ!」という言葉は、「真剣にプロポーズしろ!」という気持ちの表れで、
だから智也が謝ったときに、「なんで謝るんだよ!」と怒ったのでしょう。

つまり、智也が自分の気持ちに気付いたことで、ぎこちないことをしてしまい、
それが、あおいにあおい自身の気持ちに気付かせ、しかも「失恋した」と思わせた。
気持ちに気付いたことが、ふたりの関係を壊してしまった。

屋上のシーンでは、あおいが関係の修復を試みて、それで智也はあおいの気持ちを知った。
でも、智也は当惑して、自分の気持ちを言えなかった。
まだ関係が壊れたことに気付いていなくて、このままでいたかったのかも知れない。
それに、あおいの夢の邪魔はしたくない、ということもあったでしょう。
あおいが帰国すれば、同じ関係でいられる、と思っていたのかも。
でも、あおいは、そんな気持ちではなかったでしょう。

あおいと智也の気持ちの流れ、以上のように考えてみました。
結局、気持ちに気付いたことがきっかけで、ふたりの関係が壊れてしまった。
とても皮肉です。でも、友人から恋愛対象になったとたんに不器用になるのは分かります。
男の私としては、「男って、バカだよなあ」というのが一番の感想です。 ハァ。 ←ため息

南沙織の歌の歌詞、「だけど、気付いて」が悲しいです。

1回目は涙で観られなかったエンド・クレジットを、今回はちゃんと観られました。
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