■映画版vs小説版 早見表
| | 映画版 | 小説版 |
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| あおいが生まれた年 | 1978年(9月?) | 1974年? |
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| 智也が生まれた年 | 1979年(1月?) | 1974年? |
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| あおいとの出会い | 2000年春(大学4年) | 1992年5月(大学1年) |
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| 大学を卒業した年 | 2001年 | 1996年 |
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| あおいが死んだ年 | 2003年10月(25歳) | 2001年(27歳) |
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| ストーリのおわり | 2003年10月(智也24歳) | 2006年9月(智也32歳) |
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映画のほうの脚本は桜井亜美さんの原案をもとにして岩井俊二さんらと2年間の歳月をかけて完成したものです。一方、桜井亜美さんの小説のほうは「映画になったものを小説化した」ということになっていますが、「似て異なるもの」になっています。おそらく最初の原案の構想に近い形で執筆したのではないでしょうか。あまりにも相違点が多すぎて、結局骨格だけの比較早見表になってしまいました。
小説のほうは時代設定があいまいでしたが、エピローグであおいが亡くなってから5年後の智也が登場します。これは小説の発行日付の2006年9月より先の話ではないわけですから、もっとも現在に近い設定でも「あおいが死んだ年」は2001年ということになります。はたして、この年に智也があおいの携帯に虹の写真を送れたかどうかはなはだ疑問ですが、2001年以前では技術的に不可能なので、これ以外の時代設定はできません。
ところで、小説では智也はアトランタオリンピックのあった年に大学に入学したことになっています。これで計算していくとおかしなことになってしまいます。アトランタオリンピックは1996年、したがって智也もあおいも1978年生まれ、あおいが死んだのは小説では27歳だから2005年ということになり、その5年後は2010年ですから、「2006年に2010年の智也の話を昨日のことのように語られても真実味がなあ」ということで、なかった話にされてしまいそうです。
やはり映画でも小説でも時代設定は念を入れてやらないといけません。私は登場人物の背景にある時代の空気みたいなものが感じられるほうが好きですね。小説版のほうはそのへんが無機質というか捨象して書かれているので、ちょっと読み難くて抵抗がありました。映画のほうは良かったです。解説で2000年は「就職氷河期」ということを指摘したわけですが、「ストーカー法元年」というべき年でもありました。桶川ストーカー殺人事件が起きたのが1999年10月で、これがきっかけとなり2000年5月ストーカー規制法が施行されるまで、毎月毎日のように「ストーカー」が話題になっていました。映画はそうした時代の空気をうまく取り入れていると思いました。
映画版では智也やあおいの心の内面の解釈は観客の主観に委ねられていますが、小説版のほうは心の内面が詳細に記述されています。小説版のテーマは恋する心の内面を言葉で表現することにあったのかもしれません。上野樹里さんが「私の事が書かれていると思った」と言った内容が小説版を読んでわかったような気がしました。
■追記(2007.11.19)
『虹の女神』掲示板では「小説」の評価が高いです。⇒映画版と小説版の両方に接した感想を聞かせてください
映画版のあおいとの出会いを2000年春(大学4年)としましたが、意見交換の結果、1998年(大学2年)が有力な説になっています。⇒年代設定とカレンダー
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